沈丁花
凍てついたような空気に紛れて,馥郁とした芳香が鼻をかすめる。
わたしは香りの元を探して,ぐるりと見回す。
沈丁花の馨。この香りを嗅ぐと,春がもうすぐだな,と思う。
***
肉厚の葉の間に集まる深紅の固いつぼみがゆっくり解かれ,
透けるように白い花をのぞかせるや,強い甘い香りを四方に放つ。
中国では「瑞香」「睡香」などと呼ばれて愛好されているが,
その香りから「七里香」「千里香」という異名もある。
日本でも「沈丁花は枯れても芳し」と言われるほど,
情熱的な香りが印象的な花である。
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小枝を広げて半球状に繁る沈丁花は,庭や公園に欠かせない低木で,
わたしの実家の庭にも植わっていて,祖父が手入れをしていた。
あれは,わたしが高校に入ったばかりの年だったと思う。
毎年色香を放っていた沈丁花が,急に衰えはじめた。
枯梢になおも花をつけて芳香を聞かせる沈丁花。
祖父があれこれ手を尽くしたが,枯木の影は増す一方である。
もう寿命なんだ,そう祖父は呟いた。
その年,まだ丈夫だった祖父が癌を患い,年が明けてすぐに,あっという間に息をひきとった。
その日は雪混じりの雨が降っていたのではなかったか。
わたしはその冬何度目かの風邪をひいていたが,風邪をおして葬儀に並んだ。
読経が歌のように,重なるように送られる。
ひとまわり小さく軽くなった祖父を火葬場に連れていき,骨壺に収めて帰ってくる。
たくさんの人が家を訪ね,帰っていってから一週間。
喪中の札をくぐろうとして,沈丁花の馨を嗅いだ気がした。
枯梢を刈り込まれてざんばらになった沈丁花を振り返る。
沈丁花は枯れてなお芳し。春はすぐそこだ。